あなたはどんな時に“さみしい”と感じますか?


・夜、一人でポツンと部屋にいるとき。
・自分の居場所がないと感じているとき。
・たくさんの人の中で「ひとりぼっち」と感じるとき。
・恋人や、いつも隣にいてくれた誰かと別れたとき。
・大切な人に、想いを伝えられないでいるとき。
・楽しかったイベントの帰り道。
・夫婦や家族、恋人や友達など、

一緒にいるのに分かりあえていないと感じるとき。

など、など…。



物理的な【孤立】からくる「ひとり」という、

さみしさの感情もあれば、誰かと一緒にいるときに感じるさみしさは、

【個別性=孤独】といった、他の人とはまったく異なった存在だと感じることからくる

さみしさという場合もあるでしょう。



インターネットの世界のように、多くの人の存在を感じているときの方が

、【相対的な感覚】として、

余計にさみしさを感じてしまうことだってあるのかもしれません。


それは、私たち人間が感受性や想像力をもっているから。


また、自分が大事だと思っていた人との繋がりが途切れる、

または(物理的・心理的)距離が遠くなることはさみしい気持ちや孤独感が高まります。



このように、“さみしさ”というのは、しばしば、

人と人との繋がりが感じられなかったり、拒絶されたり、

離ればなれになるというような体験からもたらされる

「ひとりであることの痛み」といった、ネガティブな側面があるようです。


そして、“さみしさ”は、私たちが別れや死、

終わってしまったと感じる出来事に直面した時に襲いかかってくるものであったり、

周囲から誤解されたり、愛が壊れたりしたときに生まれてくる感情ほど、

強く不快なものなのかもしれませんね。


その一方で、そんな風に感じるのは、

もしかしたら、自分の気持ちや心が立ち止まってしまってる時なのかもしれません。


●“さみしさ”が問題になるとき

「ホントは、ず~っと“ひとり”でいる方が案外、さみしくないのかもしれない…。」
「彼が、ただ抱きしめてくれさえすれば、こんなにさみしい思いはしなくて済むのに…。」
「彼女(彼氏)さえできれば…。」
ふと、そんな風に思ってしまうこと、ありませんか?


残念ながら“さみしさ”の本質というのは、

表面的な一時の気晴らしや現実逃避では消えないものですし、

誰かといてもさみしいと感じることがあるように、

人やものがそれを埋めてくれるというものでもないようです。


現実には、さみしくならないために人や情報と無関係に生きようとしても、

私たちが生きていくには、ちょっと難しいですよね。

他にも、こんなことが当てはまるかもしれません。


■自分が感じている“さみしさ”を自分や誰かのせいにしているとき


さみしさを動機にして人や自分を責めても、余計にさびしくなるばかりです。
何かを責めるということは、

自分の人生から何かを切り捨てることと一緒だからなんです。

さみしさを使って、自分や誰かを責めたり裁いたり、

許せないでいるとき、その一度切り捨てられたものは時間が

止まってしまったかのようになってしまうか、

壊れたレコードのように同じトコだけ繰り返されてしまうのです。

本当は欲しかった、

その人との繋がりを感じるためには、

怒りの替わりに本当の望みを思い出すことなのかもしれません。



■“さみしい”と感じていることを隠そうとしているとき


多くの人が、周りの親しい人に自分の“さみしい

”気持ちを話すことができないでいるのではないでしょうか。

楽しいことや嬉しいことならまだしも、

「自分が今さみしいと感じている」話なんて、

きっと相手にとってはつまらないし、話しても仕方がないこと、と諦めていませんか?

そこには遠慮があるのかもしれませんし、

もしかしたら、かつて誰かに話してみたけど、

話したことで余計に傷つき、それ以来人に話していない、

という経験をした方もいるかもしれません。



もちろん、話す相手は自分が信頼のおける人を選ばなくてはいけないでしょう。

どんな感情も、あなたの大切な一部なんです。


ですから、嫌ったり、隠したり、

偽ったりしなければならないという思いは、

あなた自身がありのままの自分を認められないことから起こっている、

自分自身との関係においての“さみしさ”なのかもしれません。


隠した感情は、どんな感情であれ、

持ち主であるあなた自身に「ほれっ!」と言わんとばかりに

その存在を主張してくるものです。


それにもかかわらず、その感情を無視したり、

抑圧したり隠してしまうのは、

そこにあるものの見方をも歪めてしまうことも少なくないのです。


そういう意味で、さみしさに対する本当の癒しの第一歩は、

自分自身の感情に共感できることなのかもしれません。


一人で考えている時は堂々巡りしていた考えが、

人に話すことによって少し視点が変わってくるということは、

よくあることです。


そして、何よりも一人で悩み苦しんでいるよりも話を打ち明けた人との

繋がりを感じることができることでしょう。


今までずっと人に話さず自分で解決しなくてはいけない、

自分ひとりで抱えなくてはいけないと思っていた人は、

誰に話せるか、誰が親身になって話を聞いてくれそうか、

相談できる人を探すことから始めてみましょう。そして、人との繋がりを感じてみましょう。



●“さみしさ”が教えてくれているサイン


“さみしさ”は、分離感を超えて、

これから新しい人生へスタートしなさいというサインなんです。

ですから、嫌がらず向き合って下さい。


それは誰にでも訪れる通過点で、

ここからが、あなたらしい個性で人生を創っていく時期なのです。

まずは、何でさみしいのか、しっかり向き合うこと。


あなたが今、日常生活の中でやらねばならないことを、

投げやりでなく、ひとつひとつ心を込めてしていきましょう。


また、ふと思いついてやってみたくなることを、

「そんなことをやって何になるの…」などと考えずに行動してみましょうよ。


この二つのことを大切にしていくと、新たな道が開かれるように思えます。


手間をかける事柄が多いほど、彩りのある、深みのある人生に繋がっていきます。
自分の人生にも、生き方にももう一度一手間かけてみませんか?


思うように進まない、生きにくいと感じるとき、

そんな時こそ手間をかけ、自分を見直す良い機会なのかもしれません。


なぜなら、それは誰のものでもない、

あなた自身のよりよい人生のため、であるからです。


行きたいけど行けないと思っているところ。



それがあなたの行くべきところなのかもしれません・・・





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ぼっちに成ることで  わかる事もある


決して  マイナスでは無く・・・




寂しさを感じないのは 


誰かに何かを期待したり 



誰かに何も求めていないからかもしれない




でも  そこに気づいた事で



自分の心の考えは  寂しいな~っと思った。





何かを期待し  求める心は


寂しさを感じる事があっても


人としては、  感情面で豊かに  過ごせることなのかもしれない・・・




私も  何か期待して  求めて  生きてみたいと思う・・・



感情面は  忙しくなっても  それが生きるって事なのかもしれないから・・・